満足の意味は・・・?

 

〜足るを知るということ〜

 

 

京都、龍安寺のつくばいに掘られた文字「吾唯足知」をご存知ですか?

 

「ワレ タダ タルヲ シル」と読みます。

 

 

この意味は、
満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、

 

満足することを知らない者は、たとえ金持ちでも不幸である、ということです。

 

 

「知足の心」とも言いますが、

 

足るを知っている方が幸せですよ、ということです。

 

こう言うふうに、昔の人は
幸せに生きるコツを、いろいろな形で教えてくれているわけですが、

 

なぜ、人の心の状態を表すのに
「足」という文字を用いるのか不思議と思ったことはありませんか?

 

私達は日常的に、満足している、とか、不足しているという表現を使います。

 

 

足りているとか、足らないといった、物質的、精神的な物差しとして

 

「足」という漢字を使っていますね。

 

 

それほど足は、人の幸不幸の根源になっているということです。

 

 

一見、は手に比べて器用に動かないものと思われがちですが、
それはまったく誤った思い込みです。

 

は手となんら変わることなく、時には手以上に繊細に動き、

 

さらには体の声を深く、感じ取ることもできるのです。

 

 

小さなが大きな体を支えています。

 

 

足が弱ると内臓が弱り、やがては脳にも影響が現れると言われるほど、

 

人間にとっては重要です。

 

 

人はという、偉大な存在によって
生かされていることを忘れないでください。

 

そのが、ただ自らを支えるのみでなく、

 

人を踏むという、偉大な叡智を用いた時

 

 

踏む人と踏まれる人の両者に満ち足りた空間が生まれます。

 

この光景こそがまさに 「満足」の真の姿であり、

 

字に秘められた深い意味を的確に物語っているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 


尊いのは足の裏である

(坂村 新民さんの詩より)